秋ごろに日本語版を発行予定
ポール・デユークス 『終わりなき探求』
The Unending Quest by Paul Dukes (1889-1967)
著作権50年適用期限内 戦時加算適用外（1950年発行）
二十四歳でサンクト・ペテルスブルグ音楽院に入学し、グルジェフと同一人物と目される「オゼイ公爵」から教えを受けた、「百の顔を持つ男」の異名でも知られる英国秘密諜報員ポール・デユークスが生涯にわたる探求の軌跡を振り返る自伝。ポール・デユークスは、マンスフィールド『ディル入りピクルス』に登場する男の主人公のモデルであるとともに、グルジェフの匿名の弟子が書いたとされる『垣間見た真理』の著者またはモデルでもありうる。
マンスフィールド『ディル入りピクルス』［作品集（二）収録］は一般的には主人公の男への皮肉として解釈されている（Wikipedia）。しかし、彼女の他の多くの作品と同じく、マンスフィールドは注意深い読者がより深い解釈にたどり着くための鍵を残した。この例では、それは一般的な解釈とは正反対である。
(1) タイトルの『ディル入りピクルス』は、ドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』第7編・第3章に登場する話である『ネギ』をもじっている。マンスフィールドは、物語の終盤で女主人公の手袋をネギに見立てることで、この解釈が正しいことを保証している。芥川龍之介の「クモの糸」に相当する。
むかしあるところに百姓女がいた。とても意地悪な女だった。一つも善行を積まずに死んだ。悪魔たちは彼女を捕らえ、火の池に放り込んだ。
女の守護天使はしばしたたずみ、神様に報告できる前項がひとつぐらいなかったか考えた。「この女は生前、庭でネギを一本抜いて、物乞いの女にあげたことがあります」と守護天使は言った。すると神は答えた。「では、それと同じネギを池のなかの女に差し出し、女がそれをつかんで引き上げられるようにするとよい。もしも女を池から引き上げられたら、女は天国に行く。だが、ネギが切れたなら、女は池にとどまるしかない」
天使は女のところに駆け戻り、ネギを差し出した。「さあ」と守護天使は言った。「つかまえなさい。引き上げてあげよう」。そして、慎重に彼女を引き上げだした。まさにそのとき、火の池のなかの他の罪人たちが、彼女が引き上げられているのを見て、いっしょに引き上げてもらおうと、手を伸ばしてきた。だが、女はとても意地悪だったので、彼らを蹴りだした。「引き上げてもらってるのは私であって、あんたらじゃないの。これは私のネギ、あんたらのじゃないよ」。彼女がそう言うと、ネギはたちまち切れてしまった。そして女は火の池に落ち、いまでもそこで燃えている。天使は泣きながらそこを去った。
(2) 女主人公のヴェラは、『前奏曲』、『入江にて』をはじめとするマンスフィールドの他の物語ではイザベルとして登場し、マンスフィールドの姉のヴェラ・ボーチャンプをモデルにしている。マンスフィールドがこの女主人公のネガティヴに固まった性格に加担して、男の主人公をからかう側に立つとは想像しがたい。マンスフィールドが生涯の終わりに書き残した最後の作品のひとつである『おもちゃの家』［作品集（一）収録］は、ヴェラを（それにグルジェフ死後のジャンヌ・ド・ザルツマンをも）『ネギ』の話に結びつける。
(3)『ディル入ピクルス』（1917年）の男の主人公として、6年前というから1913年ごろ、自分のことを激しく攻撃するようになった女［ヴェラ］に見切りをつけ、ふとイギリスから姿を消し、東のように長旅をし、とくにロシアに長く滞在して「マインド・システム」について学びだし、1917年のロシア革命後、変容を遂げ、もっとリアルな人間となって、しかも懐を肥やしてイギリスに戻ってきた男は、若き秘密諜報員ポール・デュークス（コードネームST25）をモデルにしたとしか思えない。
デュークスは24歳からサンクトペテルブルク音楽院で学び、1913年、ほぼ間違いなくグルジェフと同一人物であるオゼイ公爵として知られる人物に紹介された。デュークスが自伝『終わりなき探求』で報告するそのときの状況は、グルジェフの「匿名の弟子」が書いたとされる『垣間見た真実』［初期文献集収録］に描写された状況とそっくりである。P・D・ウスペンスキーは1915年にモスクワでグルジェフと初めて会った際、その朗読を聞かされた。デユークスはその秘密諜報員としての活躍ゆえにイギリスに帰国後に爵位を得た。
キャサリンヴァンス・パーマーの日記によると、マンスフィールドは、ポールの兄で彼女同様に A・R・オラージュが発行する『ニューエイジ』誌に寄稿する劇作家だったアシュリー・デュークスと1911年に知り合ったと思われる。ポール・デュークスは、自伝『終わりなき探求』で、1913年のサンクト・ペテルスブルグでのオゼイ公爵との出会いを含めた、生涯にわたる自身の探求の奇跡を物語った。彼はまた、グルジェフから離反した後のP・D・ウスペンスキーと言葉を交わしたことがあるのも知られている。しかし、オゼイ公爵とグルジェフの同一性について言及したことはないようである。
自伝に登場するオゼイ公爵の話は、P・D・ウスペンスキーから得た情報に基づいたフィクションではないかと疑う者もいる。しかし、『ディル入りピクルス』（1922年）からうかがわれるように、ポール・デュークスのサンクト・ペテルスブルグでの体験についてマンスフィールドが前々から知っていたとすると、その疑いは晴れる。グルジェフ伝の作者であるジェームズ・ムーアと同様、私もポール・デュークがオゼイ公爵から受けた祈りと歌唱に関する指示をめぐる記述の信憑性などの点から、オゼイ公爵がグルジェフであることは疑いがたいと見る。祈りと歌唱は言葉、音程、呼吸への留意をもって行われなければならない。これは神聖舞踏（ムーヴメンツ）の練習を通してグルジェフの弟子たちに受け継がれてきた要素であり、グルジェフやポールと同じくかつて聖歌隊員だった私も、他の教師が省略しがちなこの要素をムーヴメンツと不可分のものとして維持しようと努めている。ポール・デュークスが記録に残した指示は、たとえばムーブメンツ第12番で、音程を段階的に上げ下げしながら、外面にはあらわれない注意の内的な動きをめぐる複雑な指示に従いつつ、体の姿勢を変化させつつハレルヤの歌唱をくりかえすなどの課程にあてはまる。
キャサリン・マンスフィールドは、アシュリー・デュークスを通じて、1913年にポール・デュークスがオゼイ公爵から学んだことの一端を知り、この謎めいた人物のその後の動きを密かに追跡していた可能性が高い。彼女はオラージュといっしょにこれをしていたのではないか。つまり、オゼイ公爵／グルジェフとその教えの体系について、オラージュが1915年にまだグルジェフを知らぬP・D・ウスペンスキーに出会う前から知っていた、マンスフィールドも1922年にP・D・ウスペンスキーと初めて話をする前からしっていたということである。ポールの任務の秘密性から、ふたりはこれを内緒にしていたと思われる。いずれにせよ、第一次世界大戦後、グルジェフの影響を受けたもうひとりの英国諜報員、J・G・ベネットがコンスタンティノープルに派遣されるまでに、英国重宝筋はオゼイ公爵の正体を確認していたはづぜある。というのも、ベネットはその名前がブラックリストにあるのを見ている。
マンスフィールドは「システム」に関して内密に知ったことの一部をD・H・ローレンスに漏らした可能性がある。D・Ｈ・ローレンスは『虹』（1915年）をの執筆をもって、グルジェフがP・D・ウスペンスキーらに教えたように創造の三層（アブラハムからヤコブまでといった三世代に相当）にわたるも物事の展開を追うことで三の法則と七の法則の組み合わせに基づく世界創造と維持の論理を解き明かすという大課題への取り組みに着手し。そのなかで急速に、「存在」や「センター」といったグルジェフ由来のように見える語彙の使用を増していった。その続編の『恋する女たち』（1922年）では、マンスフィールドをモデルとする登場人物グドランの最終的な目的地と関心との関係で、グルジェフをヨーロッパに招待した人物であるダルクローズ、グルジェフのムーヴメンツと一定の共通点があるそのムーヴメンツ、グルジェフが取得する予定だったその学院に言及している。おそらくD・Ｈ・ローレンスも知っていたのである。
「しかし彼女はクリームに手を付けていない］［いちばん大事な話をする前にキレてしまった］と彼は言った。「それは感情から外してもらえるだろうか」
『ディル入ピクルス』の最後の行はどういう意味か？ マンスフィールドは彼のケチ臭さをからかっている？ まさか！